古川裕倫の「いろどり徒然草」正月号 ’18

明治150年、年始のご挨拶

明治150年、明けましておめでとうございます。

突然ですが、「明治に生きた人や明治に生まれた人と直接話をしたことがありますか?」

63歳の私は子供の頃に、明治27年生まれの祖父とよく話をしていた。「信号」ではなく「シグナル」と呼び、モダンなことを「ハイカラ」と言っていた。

今から50年後の明治200年には、明治150年より「明治」をもっと大きく取り上げるであろうが、その時点で明治人を直接知っている人はほとんどいなくなっている。

そういう意味で、今、明治150年としっかり向かい合いたい。相撲界、不倫などのスキャンダルばかりを追いかけていないで、テレビも明治150年を取り上げて欲しい。

私はNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」を楽しみにしている。西郷についても興味があるが、その周りの人々についても知りたい。主役の鈴木亮平は、ホリプロ所属。東京外大卒で、英語も堪能、読書にも熱心である。

幕末。産業革命で実力をつけた欧米列強が、軍艦を率いて来航し、鎖国下の泰平の世を揺るがした。結果、日本は、幕府側と反幕府側(薩長など)に大きく2つに分かれ対峙する。ここで活躍するのが西郷隆盛であり、彼の人間力が評価される。

西郷隆盛の活躍を拙著「タカラヅカを作った小林一三と明治人たちの商人道」から抜粋し、3回に分けてご紹介したい。



【西郷隆盛(その1)】

西郷隆盛は文政10年(1827年)薩摩生まれ。幼い頃、儒学者佐藤一斎(さとういっさい)門下の伊東猛右衛門(いとうもえもん)に陽明学を学んだ。

西郷は36歳の頃、藩主の怒りを買って沖永良部島に島流しになり、牢獄生活をした。その時、同じ島に流されていた陽明学者からも教えを受け、中江藤樹や熊沢蕃山などについてよく語り合った。「人は俗世を相手とせず、天に向き合え」と学んだ。目先の損得や地位が人生の目的ではない。天はすべての人を平等に包み、愛しんでくれる。天と同じように、損得や地位を求めるのではなく、正義を貫くのが人の道だと知る。

この流刑時代に「敬天愛人」、つまり「天を敬い、人を愛する」という信条を持った。

その後、流刑を許されて藩に戻り、薩摩軍を指揮して江戸幕府を倒すリーダーとなった。江戸を火の海にせぬよう、山岡鉄舟や勝海舟と折衝して「江戸城の無血開城」を果たした。

その後も東北雄藩が幕府側について抵抗したが、それらも西郷が鎮圧した。鎮圧に際し、西郷は相手に武士としてのおおらかな対処をした。これについてはのちに述べる。

西郷は、明治新政府の重鎮となったが、朝鮮半島への進出について新政府要人と意見を異にして、新政府から下野した。

薩摩に戻って学校を作り、次世代の教育に当たろうとしたが、時を同じくして西郷のもとに不平武士が集まってきて、結果「西南の役」となった。

西郷は戦の前に、一通の手紙を明治政府に送っていた。「今般、政府へ尋問の筋これあり」と「政府に言いたいことがある」とだけ書いた。

西郷が言いたかったのは、「武士たちもかわいそうではないか。武士も時代を目一杯生き、努力をした人間ではないか」ということであった。

身分の分け隔てなく万物に対する愛、すなわち「仁」を貫こうとした。

西郷の周りにいる武士たちも含めてすべて愛する価値のある者たちであるとの渾身の叫びであった。

そして、明治新政府と反逆軍として戦った「西南戦争」のリーダーとなってしまった。

(つづく)


【お知らせ】

◇古川裕倫の新刊発売

(1)「あたりまえだけとなかなかできない60歳からのルール」
   (明日香出版)
    2018年1月15日発売

(2)「20代 仕事の原則 ~10年後、後悔しない生き方~」
   (日本能率協会マネジメントセンター) 
   2018年1月31日発売   

◇第9期「立志塾」募集

受講者の「やる気」と「自信」を引き出し、積極的チャレンジと高いア
ウトプットを目指す女性管理職を育てます。

[日程]  4月14日(土)、5月12日(土)、6月9日(土)、7月14日(土)
     8月4日(土)、9月1日(土)
[時間] 10:00~17:00(17:30~懇親会)
[場所] ウィン青山2階E(青山一丁目駅より徒歩1分)
[主催] 一般社団法人彩志義塾
[詳細・お申込み] http://saishi.or.jp/risshijuku.html

※↓1月13日(土)無料見学会(今期最終)を開催します↓
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古川裕倫の「いろどり徒然草」9月号

9月30日イベント「第2回学びのリレー~志高い塾の集い~」

前回のメルマガで、「世田谷ビジネス塾」100回記念のことや、その姉妹塾である「堂島読書会」について紹介したところ、たくさんの反応をいただき、両塾へ新しいメンバーに参加頂けることとなった。嬉しい限りであり、改めて発信することの重要性を感じた次第。

「第2回学びのリレー~志高い塾の集い~」というイベントを、この9月30日(土)夕刻に行う。昨年に引き続き、2回目。いろんな塾から参加者が集まり、お互い塾の紹介や交流を行う。これをきっかけに、新たに別の塾に行ってみるのもよし、新しいご縁を作るもよし。

昨年の第1回目では、渋澤健さんに「論語と算盤から学ぶ」をご講演いただいた。懇親会も大変盛り上がり、「知的好奇心あふれる素晴らしい会」と大勢からご好評をいただいた。

「学びのリレー」の参加団体を見ると、本を活用したスタイルの塾が多い。やはり、読書から得られる学びは大きいからだろう。

「論語と算盤経営塾」(渋澤健塾長)では、『論語と算盤』(渋沢栄一著)を1年間12回にわたって1章づつ読んでいき、議論する。

「小倉広人間塾」(小倉広塾長)は、毎月事前に課題書が決められ、それを読んできた参加者が議論・発表をする。この塾は、なんと毎月「東名阪」の3拠点で行われている。

「世田谷ビジネス塾」(村上栄作塾長)と姉妹塾「堂島読書会」(古川裕倫塾長)では、ビジネス書・自己啓発書・歴史書・伝記などのジャンルから、自分が読んで面白かった本、好きな本を他の参加者へ紹介する。本を紹介せず、議論に参加するだけもよし、聞いているだけもよし。自由度は高い。また、懇親会での交流を大事にしており、若手には先輩から宴席マナーもピシーと「順送り」されている(笑)。

十人十色の塾であるが、どの塾も、個人のスキルアップの他、組織や社会になんらかの形で貢献したいという(ちょっと大げさかもしれないが)「利他」や「奉仕」の精神を根底に持ち、「人間力」アップも目指す。

今回の「学びのリレー」では、「グローバルキャリア育成塾」を開催している福住俊男塾長に「グローバル人財になるために」という講演を、懇親会に先立ち1時間していただく。

アランやヒルティや武者小路実篤などの多くの「幸福論」に、こうある。「幸せは誰にでも向こうから来くるが、自分の懐の中までは入ってこない」「自ら一歩前に踏み出してそれを自分の手で掴む必要がある」。

いい出会いや学びも、こういう塾やセミナーに勇気を持って参加するからこそ手に入る。前回参加されなかった人も、ぜひこの機会に、素晴らしい人と出会い、学びを得て頂けたら幸いである。

※「第2回学びのリレー~志高い塾の集い~」は、2017年9月30日に無事終了いたしました。ご来場誠にありがとうございました。

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古川裕倫の「いろどり徒然草」8月号

最大のジブンへの投資は読書
~世田谷ビジネス塾100回記念~

世田谷ビジネス塾(無料読書会、以下SBJ)の100回記念に「世田谷ビジネス塾みなかみ場所」という特別記念ツアーに20名が参加し、温泉、読書会、懇親会、ラフティングなどをエンジョイした(2017年7月1日、2日)。

SBJの経緯を少々説明させていただく。

私は54歳の時に自分ができる地域貢献活動としてSBJを始めた。新卒入社した商社を46歳で辞めた後、ホリプロに7年間、 IT会社のリンクステーションに1年間勤務していたが、次第に独立して研修や執筆などで雨露をしのぎながら、お世話になった社会にもささやかな恩返しをしたいと考えるようになった。

結果、月1回、自分の家の近所で無料の勉強会をすることにした。世田谷区駒沢に「陳屯酒(チントンシャン)」というお好み焼屋が(今でも)ある。その当時、日曜日は午後6時から営業していたが、馴染みの女性主人に頼んで、午後4時から2時間店の奥のテーブルを無料で使わせてもらうことにした。

6時からは、懇親会としてしっかりお店に貢献するという条件であった。したがって、SBJのオリジナルメンバーは、その店の常連であり、わかりやすく言うと酒呑み酔っ払い仲間であった。旅行代理店経営者、映像クリエーター、証券会社早期退職者と私。

どんな勉強会が良いか試行錯誤して、落ち着いたのが読書会。本を紹介したい人は自分の好きな書籍を紹介し、他の人は議論するだけでもいいし、聞いているだけでもいい。一応、ビジネスパーソンに役立つという観点から「ビジネス書、自己啓発書、歴史書(小説可)、伝記」というジャンルとした。

9年がかりで100回やってみてよくよくわかったのは、「読書力は知力や行動力の根源」であり、ビジネスパーソンとして最強の自己研鑽ツールであるということ。

以来、私が研修を依頼される場合は、その企業の課題に見合った課題書を取り入れて研修を行っている。お手盛りだが、書物から学ぶ意味をご理解いただき、ご好評をいただいている。

「アレセー、コレセー」と言っても、人は動かない。馬を水飲み場まで連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。自分がその気になって自らを高める必要性を自分が「気付いて」初めて成長するモードに入る。一般の研修でヒントをもらった直後は意識が高いが、日が経つにつれ意識が薄れてくるというのは、自分がその気になっていないからだ。前向きに学ぼうとするギアを入れるのは、自分でないとできない。そして、自ら学ぶというギアを入れる一番のツールが読書である。

自分の仮説であるが、「名経営者には、読書家が多い」というのは、多くのヒアリングをした結果、疑う余地がほとんどない真実である。

「自分を高める」には、3つあると私思っていて、「学びの3か条」と(勝手に)呼んでいる。
1、仕事から学ぶ
2、人から学ぶ
3、書物から学ぶ

SBJでは、本からの学びを参加者にシェアしている。読書ほど安くて投資価値の高いものはないとつくづく思う。

先に述べたように、お好み焼屋からスタートしたが、その後、地元駒澤大学のご協力を得て、現在では「駒澤大学大学会館246」という立派な施設をお借りしている。

年間11回(同大学施設は8月がまるまるお休み)基本第3土曜日に行っている。無料・誰でも参加可能。繰り返しだが、本を紹介するもよし、議論に加わるのもよし、聞いているだけもよし。特に参加のルールはない(恐れ多いが、松下村塾を見習って、あえてルールを設けていない)。

もう少し具体的に言うと、今SBJはこうなっている。

第1部(立志会と呼んでいる)13時半~ 参加者が課題書を読んできて議論
第2部(読書会と呼んでいる)16時~ 課題書なし、書籍紹介・議論

その後は、大切にしている懇親会(ワリカン)@陳屯酒。余計なことながら、若手には飲み会のマナーもしっかり伝授している。

ところで、100回はいい区切りなので、この度塾長を交代してもらった。どんな組織もイノベーションを継続していかなければならず、新しいリーダーが必要と判断した。

世田谷ビジネス塾の姉妹塾に、「堂島読書会」がある。大阪版SBJ。2ヶ月に一度(不定期、平日夜)。私が引き続き塾長を務め、在阪のSBJ元メンバーに幹事をしていただいている。熱い議論があり、極めて志や学び心が高い(といって決して堅苦しくはない)。当然、懇親会も盛り上がる。

どちらも決して敷居は高くないので、老若男女にご参加いただきたい。小さな勇気を持って「自ら一歩前に出ること」で、いい仲間たちと学びをシェアしたく、お気軽にコンタクトいただきたい。お手すきの時にネットやFBで検索していただきたい。

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古川裕倫の「いろどり徒然草」7月号

人は死に方は選べないが、生き方は選べる
~危機をチャンスに変えた男たち~

あれから6年4ヶ月。
 
東日本大震災でほぼすべてを失った気仙沼の水産加工メーカーが、驚くべき速さと決断力で再建を果たし、明るい未来を築こうとしている。志高く、熱い思いを持ったビジネスリーダーたちから筆舌に尽くせないような大きな感動をいただいた。

この6月4日・5日、中井ビジネスコンサルコンサルタント(東京都千代田区、中井英一社長、69歳)の特別企画として、勉強会会員が気仙沼を訪れた。私も参加させてもらった。中井氏の東京での月例勉強会には、50−80人が参加しており、今回の気仙沼ツアー企画には26名が参加した。このように人が集うのは中井氏の人脈の広さと、人間力の高さが理由。わかりやすくいうと、笑顔のいい熱血オヤジである。

中井氏は、もともと三井物産に勤務していたが、縁あって、株式会社オークネット(東京港区、藤崎清孝社長)に転職、同社副社長を15年勤めた。

中井氏は生家が津波で完全に流されてしまった故郷気仙沼に貢献すべく、震災後すぐにオークネットを退社し、まだ交通が遮断されている頃から気仙沼に足繁く通った。なんと今日まで東京・気仙沼間を何と85回も往復している。

気仙沼には、地元の優れたリーダーたちがいた。東日本大震災で壊滅的打撃を受けた水産加工メーカー19社が気仙沼鹿折(ししおり)加工協会という組合を立ち上げた。

理事長の川村賢壽氏(株式会社かわむら代表取締役、67歳)と副理事長の臼井弘氏(福寿水産代表取締役、66歳)が中心人物。お父様同士も地元で同じ鰹節のビジネスをされていて、川村氏と臼井氏は幼い時からの顔見知りであった。その後、川村氏はワカメやイクラの加工メーカー、臼井氏はフカヒレメーカーとして事業を開始し親交を深めた。津波直後はどちらも事業再開を一時はあきらめていたが、川村氏は、イクラの原料である鮭が収穫される10月までに、複数の施設を修復・新設することを決意した。意気消沈していた臼井氏を勇気づけ、ともに手を取り合って再建しようと誓った。所謂「戦友」である。

かわむらは、震災前に気仙沼と「奇跡の一本松」で有名な隣町の陸前高田に合わせて26か所の生産・貯蔵施設を持っていたが、そのうち22の施設を失った。損失金額は80−100億円という。

再建準備を進める障害は、冷蔵庫の在庫であった。震災直後に2割ほどの従業員が気仙沼から他の地域に引っ越していったが、かわむらに残った社員たちは会社の復帰に大きな期待をかけていた。電気が来ない冷蔵庫では、魚が腐り異臭が立ち込める中で清掃作業をしなくてはならない。冷蔵庫から仮事務所に戻ってくる社員の体からも強烈な匂いがする。2ヶ月間もひたむきに清掃してくれた社員に川村氏は、心から感謝した。

我々がお邪魔をした新しい施設は、とにかく綺麗で機械設備も鏡代わりに使えるほどピカピカに掃除されている。従業員は礼儀正しく、親切。5S(整理・整頓・掃除・清潔・躾)がしっかりと効いていると感じる。

川村氏は、講演の中で一冊の本を紹介された。ガンで闘病中のオークネットの創始者藤崎真孝氏が残した「正見録(しょうけんろく)」という経営の要諦を綴った本であった。例えば、社員の信条として「易きになじまず難きにつく」(楽な道と困難な道があれば、困難な道を行け)、経営者の信条として「事業とは顧客の創造なり、人に喜ばれてこそ会社発展する」など。川村氏はこれらの言霊を心の支えとして困難を乗り越えてきたという。オークネットは災害直後からCSR活動の一環として多くの社員を気仙沼に派遣していた。

大変僭越ながら、最近の多くの日本企業は「あまえ、ヌルマ湯、ポアーンの如し」であると私が(偉そうに)申し上げているが、この日はまったく違う企業を拝見した。川村氏は笑顔が素敵ではあるが、目力がある。危機を乗り越える勇気と信念を持った本気のリーダーである。偉そうにしている大会社の安物の社長とわけが違う。「ポワーン」としている会社とは違う。哲学がある。志の高さが違う。そして決定的に違うのは「危機感」。

かわむらの会議室には、「社員の条件」という掲示がある。その項目の中にこうある。「挨拶、当たり前のことを徹底して身に付けよ。挨拶できなくて一人前になれるわけがない」「整理整頓、上手な整理整頓が仕事の生産性と能率を向上させる」。さらに「以上のことができて初めて社員の資格あり」とある。

立派な会社は、社員教育をきちんとしている。従業員指導が徹底していて、ちゃんとモノが言えている。

「会議に出たら必ず発言、沈黙は「禁」なり」とユーモラスな掲示もある。部下も人前でモノ言える人となるべし。

その他、もっと多くの会社や個人がこの気仙沼のプロジェクトに直接・間接的に貢献されているが、この紙面の事情でご紹介できないのが残念。

冒頭の「死に方は選べないが」とは、今回の震災のように自分の意思とは全く別の理由で亡くなる人もあるという意味。しかし、どう生きるかは本人次第。深い言葉である。

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古川裕倫の「いろどり徒然草」6月号

部下にモノ言えないシンドローム
~日本企業の基本の基本がおかしくなってきている~

「部下を”キチンと”指導していますか?」という問いかけに、どれだけの人がYESと答えられるだろうか。

知り合いの企業経営者の悩みのいくつかは、「ポワーンとした社風」についてである。どこか危機感が薄く、現状に満足してぬるま湯に浸かっている。変化を嫌い、イノベーションをしない。

確かに社員自身も改めるべきだが、どうやらマネジメント側にも責任はありそうである。

「しない・できない」の理由に、「忙しい」がある。では、ポワーンとした社内のその「忙しさ」とは何か。

その正体の1つは、相手にモノが言えないために起こる、コミュニケーション不足であるとわたしは思う。例えば、求める仕事の質はどれくらいか、納期はいつか、などの必要な情報が共有できていない。同じミスを繰り返す部下に、指摘ができない。 常日頃から、正しいことと正しくないことについて指導ができていない。だから、社内はいつも右往左往する。ロスが増え、どんどんどんどん「忙しく」なる。「忙しい」から、チャレンジが減る。ますます社内はポワーンとする。

生産性高く仕事を進めるためには、社員一人一人が当たり前のことを当たり前にできることが大切である。それにはコミュニケーション、つまり、マネジメント層からの適切な「指示」や「指導」が必要だ。知らない人にはきちんと教え、気付かない人には言って聞かせ、時に叱り、仕事の厳しさも教えなければならない。仕事に緊張感を持たせ基本を徹底させることは、マネジメント層の責務である。

それができないのは、能力が不足しているからではない。多くは、「部下にモノが言えない」と言った基本姿勢に問題がある。部下と向き合わず、腰が引けている。部下から逃げているとも言えなくはない。

「三遊間のゴロをとりに行け」とは、以前お世話になった経営者の方がよくおっしゃっていた言葉だ。三遊間のゴロとは、野球で三塁手とショートストップ(遊撃手)の間に落ちた球のことだ。自分もとれるが、向こうの選手もとれる。自分が飛び出してうまく拾えればいいが、失敗すればひんしゅくを買う。つまり、できればとりたくない球であるが、そう言う球(仕事)こそ積極的にとりに行きなさい、というのが彼のメッセージだ。部下には耳の痛い言葉だが、ことあるごとくそう発信される。だから、部下も嫌な仕事から逃げない。逃げないから、鍛えられる。

もう30年は経っていると思うが、「コーチング」が大ブレークしている。プロスポーツ選手の育成に由来する指導方法で、上手に活用できればその分大きな成長を期待できる。

昭和のスパルタ教育時代も終わった。「うさぎ飛び」や「水を飲まずに運動せよ」などはただの精神修養だけで、医学的根拠はないことが分かっている。前のメルマガでもご紹介したように、1980年代には「堤義明が語る 休日が欲しければ管理職を辞めよ」と言うタイトルの本もあった。今こんなことを言えば「ブラック企業」のラベルが貼られて大問題となる。「パワハラ・セクハラ」への理解・関心も高まっている。

しかし、はき違えてはいけないのは、「セクハラ・パワハラをしないこと」と、「部下を甘やかすこと」は違う。人材教育には時に「叱ること」も必要なのに、コーチングという名のもとに、猫も杓子も「君ならどうしたい」という風潮もある。確かに、それなりの人を鍛えるにはコーチングは効果的だが、ほどんど知識や経験のない新人や若手の場合は、ティーチングによって指導する方が効率的だ。相手にヒントを与え気付きを待つやり方も自発性を養う意味では悪くはないが、それにかかる時間も考えなければならない。常に競争環境にある企業は、社員教育にもスピードと生産性が求められる。どうすれば短時間で新人教育を行えるのか、アドラー心理学論者に聞いてみたい。大企業の人事担当なども「叱らずに褒める」ばかりの研修しかできないと首を傾げている。

要は、セクハラ・パワハラやコーチングを楯に、本来行うべき「指導」から、上司が逃げているのである。「余計なことを言って嫌われたくない」という安易な考えもあるのかもしれない。しかし、自分大事は二の次で、マネージメント層が考えるべきは、会社であり、部下である。

「モノが言えないポワーンとした」日本企業は、世界に置いていかれる。既に多くのグローバル企業が日本で活躍しているが、明確なJob Descriptiionや評価基準を持つ彼らの仕事ぶりはシビアである。コミュニケーションは日本よりずっと簡潔明快・率直なものであり、優秀な企業においては360度評価制度も導入している。マネージャーは同僚や部下から評価され、より多くの指摘やアドバイスを受ける。自分かわいさで仕事をしている場合ではない。より高い成果を出すため、お互いに言うべきところは言わねばならない。

そもそも日本は、控え目というか、思うところを察して欲しいという雰囲気がある。曖昧でモノ言わぬ「腰抜け・腑抜け」のままでは、生産性は上がらない。働き方改革は、日々のコミュニケーション方法を見直す良い機会かもしれない。

上司や先輩は、多くの場合先に退職する。だからこそ、残される部下を過保護にしてはいけない。後で困るのは部下である。これは、親と子の関係でも同じだ。つまり、福沢諭吉のいう「独立自尊」である。

モノを言い合ってでも会社を良くしたいと思う若手も、叱ってくれる上司から学びたいと考える後輩も、大勢いる。むしろ、最近の若手はキャリアについてしっかりとした考えを持っている。転職や独立にどんな経験が必要かも頭の中にあり、成果を出せるようになりたいと前向きである。エスカレーターで上がってきた(我々)昭和人とは違う。中にはちょっと言われてヘコむ者もいるかもしれないが、多くはアドバイスや厳しさを次への肥やしとして成長していく。

「本当の優しさとは厳しさも含む」という、一見時代錯誤とも見えるイノベーションが必要である。過去、自分に気付きを与え、成長させてくれた人はどんな人だったか、振り返ってみてはいかがだろうか。

「今嫌われても将来感謝される上司」、「ピシッとモノ言えるマネジメント」になろう。

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