古川裕倫の「いろどり徒然草」3月号

明治150年 3月号

【西郷隆盛 その(3)おわり】

明治時代の浮世絵が錦絵と呼ばれる。当時錦絵は、ポスターであり、報道メディアであった。錦絵にも西南の役が描かれているが、西郷は反乱軍の長なのに、英雄として取り上げられていた。西郷のすべての人を愛する「仁」があることを人々は理解していた。

西郷自身は、中江藤樹や大塩平八郎のような学者ではなく著書もないが、戊辰戦争で西郷軍に負けた山形の庄内藩が西郷の言葉を綴った本がある。『西郷南洲遺訓』というタイトルで、明治23年(1890年)に発行された。

庄内藩は譜代大名であり、奥羽地方の徳川幕府の重要拠点でもあった。戊辰戦争においても、官軍と最後まで戦い抜き、最後に西郷軍に降伏した。

西郷は武士としての礼を重んじ、敗軍の庄内藩を手厚く遇した。藩主も藩士も謹慎程度の処分としたので、庄内藩は西郷の寛大さに大いに驚いた。また西郷軍の占領が長引くと、庄内藩に財政的な負担をかけることから、3日で全軍を引き上げた。

このこと以来、庄内藩は西郷を高く評価し尊敬した。

そして、明治2年(1869年)に庄内藩主酒井忠篤(さかいただずみ)以下70名の庄内藩士が、薩摩に下野していた西郷を船で訪ね、教えを受けた。

50ほどの西郷の言葉が綴られおり、陽明学を知る西郷の強い思いが書かれている。

「政治をする時は、天下国家のためにやること。ほんのわずかでも私情が入ってはならない」
「人が学ぶことの目的はだた一つ。敬天愛人を知ること」

西郷は、幕府側と反班幕府側、武士と民などの区別をすることなく、大きな心で人民を愛した。まさに陽明学の真髄である。

西郷については、大河ドラマに便乗してたくさんの本が出ているが、オススメ本はこれ。

(1)「人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ」(稲盛和夫、日経BP社)
西郷隆盛を尊敬する稲盛和夫さんが、南洲翁遺訓の解説に自らの経営経験・哲学を加筆した。ビジネスパーソンにとって参考になることが多い。第2回世田谷ビジネス塾ビジネス書大賞候補書籍。

(2)「南洲翁遺訓(100分で名著)」(先崎彰容、NHK出版)
Eテレ教本。南洲翁遺訓をかいつまんで知りたい人によい。

(3)「西郷隆盛 人間学」(神渡良平、致知出版社)
西郷の人生をじっくり学びたいという人に。読み応えあり。

メールマガジン「いろどり徒然草」の配信申し込みはコチラ

古川裕倫の「いろどり徒然草」2月号

明治150年~2月号~

古川裕倫の「いろどり徒然草」先月号に引き続き、西郷隆盛について。

【西郷隆盛 その(2)】

西郷隆盛は幕末の儒学者である佐藤一斎を大変尊敬していた。西郷は、薩摩の若手にも陽明学を学ばせ、京都の春日潜庵(かすがせんあん)へ留学させた。

「今時のものは、理屈は立派であり、弁も立つ。しかし、行動が伴わない。実行の大切さを学んできなさい」と言って送り出した。すなわち、知行合一(ちこうごういつ)である。

西郷は、佐藤一斎が残した1133の言葉(言志四録)のうち101を抜き書きし、死ぬまで肌身離さず持っていた。

西郷は反乱軍のリーダーであったにもかかわらず、日本中の人から好かれていて、読み物や時代劇にも普遍的に登場している。

彼の考え方、生き方、人への接し方が、上下関係はもとより敵味方を超えても、等しく人を思う心「仁」に富んでいた。すべての人を愛する大きな「仁」があり、人々を包み込む大きな「器」があった。相手の身分や立場にかかわらず、人の言うことを聞く時は、正座をして大きな体をかがめて傾聴した。本当の武士の心を持った人間侍であった。

西南戦争は凄惨を極めたが、西郷はそもそも近代装備をした政府軍には勝てるとは思っておらず、「もうこれぐらいでよかろう」と言って自刃の時を知った。

明治10年(1877年)9月24日未明、西郷は明治天皇のいる東の方角に手を合わせ、最後を遂げた。その時、日本の多くの地で流れ星が見え、人々は西郷の昇天を知ったと言われた。



【お知らせ】

 女性幹部養成プログラム「立志塾」
 ~一流ロールモデルと考える 「自分らしいキャリア」と「マネジメント」~

 ========================
 ○開講:第9期 2018年4月14日(土)~2018年9月1日(土)
 ○場所:ウィン青山2階E(「青山一丁目」駅5番出口より徒歩1分)
 ○講師:古川裕倫、上場会社女性役員、他
 ○主催:一般社団法人彩志義塾
 ========================

本プログラムでは、受講者の「やる気」と「自信」を引き出し、積
極的なチャレンジ精神と高いアウトプット力を兼ね備えた女性マネ
ージャーを育てます。第9期のお申込み受付は、2月28日(水)まで。

<受講対象>

 社会人経験3年以上の管理職候補~幹部社員

<内容>

 マネジメント、リーダーシップ、部下育成
 グローバルコミュニケーション、ダイバーシティ、
 イノベーション
 キャリアデザイン、介護
 プレゼンテーション、アサーティブ
 経営哲学、役員・取締役会、投資・M&A
 財務諸表、事業計画・数値管理、他

 ※取り扱いテーマは一部変更になる場合がございます。

 ▼詳細・お申込みはこちら
 https://saishi.or.jp/risshijuku.html

メールマガジン「いろどり徒然草」の購読登録する

古川裕倫の「いろどり徒然草」正月号 ’18

明治150年、年始のご挨拶

明治150年、明けましておめでとうございます。

突然ですが、「明治に生きた人や明治に生まれた人と直接話をしたことがありますか?」

63歳の私は子供の頃に、明治27年生まれの祖父とよく話をしていた。「信号」ではなく「シグナル」と呼び、モダンなことを「ハイカラ」と言っていた。

今から50年後の明治200年には、明治150年より「明治」をもっと大きく取り上げるであろうが、その時点で明治人を直接知っている人はほとんどいなくなっている。

そういう意味で、今、明治150年としっかり向かい合いたい。相撲界、不倫などのスキャンダルばかりを追いかけていないで、テレビも明治150年を取り上げて欲しい。

私はNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」を楽しみにしている。西郷についても興味があるが、その周りの人々についても知りたい。主役の鈴木亮平は、ホリプロ所属。東京外大卒で、英語も堪能、読書にも熱心である。

幕末。産業革命で実力をつけた欧米列強が、軍艦を率いて来航し、鎖国下の泰平の世を揺るがした。結果、日本は、幕府側と反幕府側(薩長など)に大きく2つに分かれ対峙する。ここで活躍するのが西郷隆盛であり、彼の人間力が評価される。

西郷隆盛の活躍を拙著「タカラヅカを作った小林一三と明治人たちの商人道」から抜粋し、3回に分けてご紹介したい。



【西郷隆盛(その1)】

西郷隆盛は文政10年(1827年)薩摩生まれ。幼い頃、儒学者佐藤一斎(さとういっさい)門下の伊東猛右衛門(いとうもえもん)に陽明学を学んだ。

西郷は36歳の頃、藩主の怒りを買って沖永良部島に島流しになり、牢獄生活をした。その時、同じ島に流されていた陽明学者からも教えを受け、中江藤樹や熊沢蕃山などについてよく語り合った。「人は俗世を相手とせず、天に向き合え」と学んだ。目先の損得や地位が人生の目的ではない。天はすべての人を平等に包み、愛しんでくれる。天と同じように、損得や地位を求めるのではなく、正義を貫くのが人の道だと知る。

この流刑時代に「敬天愛人」、つまり「天を敬い、人を愛する」という信条を持った。

その後、流刑を許されて藩に戻り、薩摩軍を指揮して江戸幕府を倒すリーダーとなった。江戸を火の海にせぬよう、山岡鉄舟や勝海舟と折衝して「江戸城の無血開城」を果たした。

その後も東北雄藩が幕府側について抵抗したが、それらも西郷が鎮圧した。鎮圧に際し、西郷は相手に武士としてのおおらかな対処をした。これについてはのちに述べる。

西郷は、明治新政府の重鎮となったが、朝鮮半島への進出について新政府要人と意見を異にして、新政府から下野した。

薩摩に戻って学校を作り、次世代の教育に当たろうとしたが、時を同じくして西郷のもとに不平武士が集まってきて、結果「西南の役」となった。

西郷は戦の前に、一通の手紙を明治政府に送っていた。「今般、政府へ尋問の筋これあり」と「政府に言いたいことがある」とだけ書いた。

西郷が言いたかったのは、「武士たちもかわいそうではないか。武士も時代を目一杯生き、努力をした人間ではないか」ということであった。

身分の分け隔てなく万物に対する愛、すなわち「仁」を貫こうとした。

西郷の周りにいる武士たちも含めてすべて愛する価値のある者たちであるとの渾身の叫びであった。

そして、明治新政府と反逆軍として戦った「西南戦争」のリーダーとなってしまった。

(つづく)


【お知らせ】

◇古川裕倫の新刊発売

(1)「あたりまえだけとなかなかできない60歳からのルール」
   (明日香出版)
    2018年1月15日発売

(2)「20代 仕事の原則 ~10年後、後悔しない生き方~」
   (日本能率協会マネジメントセンター) 
   2018年1月31日発売   

◇第9期「立志塾」募集

受講者の「やる気」と「自信」を引き出し、積極的チャレンジと高いア
ウトプットを目指す女性管理職を育てます。

[日程]  4月14日(土)、5月12日(土)、6月9日(土)、7月14日(土)
     8月4日(土)、9月1日(土)
[時間] 10:00~17:00(17:30~懇親会)
[場所] ウィン青山2階E(青山一丁目駅より徒歩1分)
[主催] 一般社団法人彩志義塾
[詳細・お申込み] https://saishi.or.jp/risshijuku.html

※↓1月13日(土)無料見学会(今期最終)を開催します↓
  https://saishi.or.jp/201712011613.html

メールマガジン「いろどり徒然草」の配信申し込みはコチラ

古川裕倫の「いろどり徒然草」9月号

9月30日イベント「第2回学びのリレー~志高い塾の集い~」

前回のメルマガで、「世田谷ビジネス塾」100回記念のことや、その姉妹塾である「堂島読書会」について紹介したところ、たくさんの反応をいただき、両塾へ新しいメンバーに参加頂けることとなった。嬉しい限りであり、改めて発信することの重要性を感じた次第。

「第2回学びのリレー~志高い塾の集い~」というイベントを、この9月30日(土)夕刻に行う。昨年に引き続き、2回目。いろんな塾から参加者が集まり、お互い塾の紹介や交流を行う。これをきっかけに、新たに別の塾に行ってみるのもよし、新しいご縁を作るもよし。

昨年の第1回目では、渋澤健さんに「論語と算盤から学ぶ」をご講演いただいた。懇親会も大変盛り上がり、「知的好奇心あふれる素晴らしい会」と大勢からご好評をいただいた。

「学びのリレー」の参加団体を見ると、本を活用したスタイルの塾が多い。やはり、読書から得られる学びは大きいからだろう。

「論語と算盤経営塾」(渋澤健塾長)では、『論語と算盤』(渋沢栄一著)を1年間12回にわたって1章づつ読んでいき、議論する。

「小倉広人間塾」(小倉広塾長)は、毎月事前に課題書が決められ、それを読んできた参加者が議論・発表をする。この塾は、なんと毎月「東名阪」の3拠点で行われている。

「世田谷ビジネス塾」(村上栄作塾長)と姉妹塾「堂島読書会」(古川裕倫塾長)では、ビジネス書・自己啓発書・歴史書・伝記などのジャンルから、自分が読んで面白かった本、好きな本を他の参加者へ紹介する。本を紹介せず、議論に参加するだけもよし、聞いているだけもよし。自由度は高い。また、懇親会での交流を大事にしており、若手には先輩から宴席マナーもピシーと「順送り」されている(笑)。

十人十色の塾であるが、どの塾も、個人のスキルアップの他、組織や社会になんらかの形で貢献したいという(ちょっと大げさかもしれないが)「利他」や「奉仕」の精神を根底に持ち、「人間力」アップも目指す。

今回の「学びのリレー」では、「グローバルキャリア育成塾」を開催している福住俊男塾長に「グローバル人財になるために」という講演を、懇親会に先立ち1時間していただく。

アランやヒルティや武者小路実篤などの多くの「幸福論」に、こうある。「幸せは誰にでも向こうから来くるが、自分の懐の中までは入ってこない」「自ら一歩前に踏み出してそれを自分の手で掴む必要がある」。

いい出会いや学びも、こういう塾やセミナーに勇気を持って参加するからこそ手に入る。前回参加されなかった人も、ぜひこの機会に、素晴らしい人と出会い、学びを得て頂けたら幸いである。

※「第2回学びのリレー~志高い塾の集い~」は、2017年9月30日に無事終了いたしました。ご来場誠にありがとうございました。

メールマガジン「いろどり徒然草」の配信申し込みはコチラ

古川裕倫の「いろどり徒然草」8月号

最大のジブンへの投資は読書
~世田谷ビジネス塾100回記念~

世田谷ビジネス塾(無料読書会、以下SBJ)の100回記念に「世田谷ビジネス塾みなかみ場所」という特別記念ツアーに20名が参加し、温泉、読書会、懇親会、ラフティングなどをエンジョイした(2017年7月1日、2日)。

SBJの経緯を少々説明させていただく。

私は54歳の時に自分ができる地域貢献活動としてSBJを始めた。新卒入社した商社を46歳で辞めた後、ホリプロに7年間、 IT会社のリンクステーションに1年間勤務していたが、次第に独立して研修や執筆などで雨露をしのぎながら、お世話になった社会にもささやかな恩返しをしたいと考えるようになった。

結果、月1回、自分の家の近所で無料の勉強会をすることにした。世田谷区駒沢に「陳屯酒(チントンシャン)」というお好み焼屋が(今でも)ある。その当時、日曜日は午後6時から営業していたが、馴染みの女性主人に頼んで、午後4時から2時間店の奥のテーブルを無料で使わせてもらうことにした。

6時からは、懇親会としてしっかりお店に貢献するという条件であった。したがって、SBJのオリジナルメンバーは、その店の常連であり、わかりやすく言うと酒呑み酔っ払い仲間であった。旅行代理店経営者、映像クリエーター、証券会社早期退職者と私。

どんな勉強会が良いか試行錯誤して、落ち着いたのが読書会。本を紹介したい人は自分の好きな書籍を紹介し、他の人は議論するだけでもいいし、聞いているだけでもいい。一応、ビジネスパーソンに役立つという観点から「ビジネス書、自己啓発書、歴史書(小説可)、伝記」というジャンルとした。

9年がかりで100回やってみてよくよくわかったのは、「読書力は知力や行動力の根源」であり、ビジネスパーソンとして最強の自己研鑽ツールであるということ。

以来、私が研修を依頼される場合は、その企業の課題に見合った課題書を取り入れて研修を行っている。お手盛りだが、書物から学ぶ意味をご理解いただき、ご好評をいただいている。

「アレセー、コレセー」と言っても、人は動かない。馬を水飲み場まで連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。自分がその気になって自らを高める必要性を自分が「気付いて」初めて成長するモードに入る。一般の研修でヒントをもらった直後は意識が高いが、日が経つにつれ意識が薄れてくるというのは、自分がその気になっていないからだ。前向きに学ぼうとするギアを入れるのは、自分でないとできない。そして、自ら学ぶというギアを入れる一番のツールが読書である。

自分の仮説であるが、「名経営者には、読書家が多い」というのは、多くのヒアリングをした結果、疑う余地がほとんどない真実である。

「自分を高める」には、3つあると私思っていて、「学びの3か条」と(勝手に)呼んでいる。
1、仕事から学ぶ
2、人から学ぶ
3、書物から学ぶ

SBJでは、本からの学びを参加者にシェアしている。読書ほど安くて投資価値の高いものはないとつくづく思う。

先に述べたように、お好み焼屋からスタートしたが、その後、地元駒澤大学のご協力を得て、現在では「駒澤大学大学会館246」という立派な施設をお借りしている。

年間11回(同大学施設は8月がまるまるお休み)基本第3土曜日に行っている。無料・誰でも参加可能。繰り返しだが、本を紹介するもよし、議論に加わるのもよし、聞いているだけもよし。特に参加のルールはない(恐れ多いが、松下村塾を見習って、あえてルールを設けていない)。

もう少し具体的に言うと、今SBJはこうなっている。

第1部(立志会と呼んでいる)13時半~ 参加者が課題書を読んできて議論
第2部(読書会と呼んでいる)16時~ 課題書なし、書籍紹介・議論

その後は、大切にしている懇親会(ワリカン)@陳屯酒。余計なことながら、若手には飲み会のマナーもしっかり伝授している。

ところで、100回はいい区切りなので、この度塾長を交代してもらった。どんな組織もイノベーションを継続していかなければならず、新しいリーダーが必要と判断した。

世田谷ビジネス塾の姉妹塾に、「堂島読書会」がある。大阪版SBJ。2ヶ月に一度(不定期、平日夜)。私が引き続き塾長を務め、在阪のSBJ元メンバーに幹事をしていただいている。熱い議論があり、極めて志や学び心が高い(といって決して堅苦しくはない)。当然、懇親会も盛り上がる。

どちらも決して敷居は高くないので、老若男女にご参加いただきたい。小さな勇気を持って「自ら一歩前に出ること」で、いい仲間たちと学びをシェアしたく、お気軽にコンタクトいただきたい。お手すきの時にネットやFBで検索していただきたい。

メールマガジン「いろどり徒然草」の配信申し込みはコチラ